前回は異形のゴハチ重連でしたので、今回は異形ではないゴハチ重連を...
再掲となりますが、デジタルコピーなので画質は向上しています。
C58が重連で貨物列車を牽いていた陸羽東線、たった一度きり、三日間の訪問でした。
初日はフィルムの装填ミスで巻き上げ不良、空シャッターで幻となったコマ多数...
お陰で、二日間で切り上げて羽越本線へ廻る予定が三日間居る羽目になってしまい、雨にも祟られた苦い思い出のある路線です。
当時、川渡から堺田まで前補機が付く下り列車はこの1本のみ。上り列車は新庄から小牛田まで回送を兼ねた重連が1本あり、一日で撮れた重連列車は2本のみでした。
中山平駅手前のカーブですが、前補機の煙が薄かったので編成の最後まで見通せ、辺りの様子が良く判り、記憶が蘇ります。
鉄橋を渡った向こう側の斜面の途中に踏切があり、そこを右手に降りていった先の旅館に泊まったこと、翌朝は宿のご主人に堺田まで車で送って頂いたこと、などを思い出しました。
サミットは二つ先の堺田駅、未だ未だ上り勾配が続くので前補機も再び投炭し始めたようです。
右端には山間の小さな駅、中山平の構内が見えていて、当時が偲ばれる写真です。
陸羽東線 鳴子~中山平(駅名はいずれも当時)
1793レ、C58365+C58215
1972年6月9日撮影
再掲となりますが、デジタルコピーなので画質は向上しています。
C58が重連で貨物列車を牽いていた陸羽東線、たった一度きり、三日間の訪問でした。
初日はフィルムの装填ミスで巻き上げ不良、空シャッターで幻となったコマ多数...
お陰で、二日間で切り上げて羽越本線へ廻る予定が三日間居る羽目になってしまい、雨にも祟られた苦い思い出のある路線です。
当時、川渡から堺田まで前補機が付く下り列車はこの1本のみ。上り列車は新庄から小牛田まで回送を兼ねた重連が1本あり、一日で撮れた重連列車は2本のみでした。
中山平駅手前のカーブですが、前補機の煙が薄かったので編成の最後まで見通せ、辺りの様子が良く判り、記憶が蘇ります。
鉄橋を渡った向こう側の斜面の途中に踏切があり、そこを右手に降りていった先の旅館に泊まったこと、翌朝は宿のご主人に堺田まで車で送って頂いたこと、などを思い出しました。
サミットは二つ先の堺田駅、未だ未だ上り勾配が続くので前補機も再び投炭し始めたようです。
右端には山間の小さな駅、中山平の構内が見えていて、当時が偲ばれる写真です。
陸羽東線 鳴子~中山平(駅名はいずれも当時)
1793レ、C58365+C58215
1972年6月9日撮影