帰省の帰り道、ちょっと寄り道です。
44年前(1974年)、C11を撮影に何度か訪れた日中線でしたが、熱塩駅まで行ったかどうか記憶が定かではありません。
日中線が廃止されたのは1984年ですから廃止から既に34年が経過していますが、終点の熱塩駅は「日中線記念館」としてこうして保存されています。
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午後の大分傾いた陽が差し込む改札口、44年前にタイムスリップした感じです。
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線路の一部が残されていて、キ287とオハフ61が保存されていました。
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オハフ61の車内には立ち入る事も出来、C11が牽く列車の熱塩~会津加納間の走行音も聞くことが出来ます。
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線路は撤去されていますが、ホームは当時のままでしょうね。
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当時は構内の外れに転車台があり、現在もその痕跡が残っているようです。
自分が訪問した1974年時点では、転車台は既に使われなくなっていて、上り列車はC11が逆向きで牽引していました。
ここで側線を使って機回しするC11を見た様な記憶もあるのですが、写真が残っていないので本当に見ているのか、あるいは記憶違いなのか、定かではありません。
喜多方市内の日中線の線路跡は枝垂れ桜並木となっている所もあり、桜が咲いた頃にまた行ってみたいと思っています。
44年前(1974年)、C11を撮影に何度か訪れた日中線でしたが、熱塩駅まで行ったかどうか記憶が定かではありません。
日中線が廃止されたのは1984年ですから廃止から既に34年が経過していますが、終点の熱塩駅は「日中線記念館」としてこうして保存されています。

午後の大分傾いた陽が差し込む改札口、44年前にタイムスリップした感じです。

線路の一部が残されていて、キ287とオハフ61が保存されていました。

オハフ61の車内には立ち入る事も出来、C11が牽く列車の熱塩~会津加納間の走行音も聞くことが出来ます。

線路は撤去されていますが、ホームは当時のままでしょうね。


当時は構内の外れに転車台があり、現在もその痕跡が残っているようです。
自分が訪問した1974年時点では、転車台は既に使われなくなっていて、上り列車はC11が逆向きで牽引していました。
ここで側線を使って機回しするC11を見た様な記憶もあるのですが、写真が残っていないので本当に見ているのか、あるいは記憶違いなのか、定かではありません。
喜多方市内の日中線の線路跡は枝垂れ桜並木となっている所もあり、桜が咲いた頃にまた行ってみたいと思っています。