蒸気機関車を盛んに撮影していた昭和47年~50年頃は、中判カメラ(66判あるいは67判)をメインにして、35mm(一眼レフ)がサブカメラでした。
当時の撮影スタイルは、中判は標準レンズ、35mmは一台(ポジ装填)を標準レンズで中判と同時レリーズ、もう一台(ネガ装填)は望遠レンズを付けて遠方を撮影...ということが多かったです。
このところ、135ネガをデジタル複写していて、その望遠レンズで撮ったコマを見返していると、機関車が随分遠方に居る時から撮っていて無駄なコマの多いこと...
望遠レンズと言っても当時は135mmしか持っていなかったので、機関車が画面に適度な大きさになるまで引き付けていると標準レンズの方のレリーズが遅れる恐れも有り、望遠レンズは引き付け不足、そのくせ標準レンズは焦って早切り...という写真が沢山あります。カメラを2台も3台も操る技量はなかったのに欲張ってしまい、ヘボ写真の何と多いことか...
でも、当時は連写が出来ないカメラで原則1台1コマ、カラーとモノクロの両方撮りたい、望遠でも撮りたい...となるとカメラが2台も3台も必要になってきます。今ならカメラ1台に5倍程度のズームレンズ1本あれば事足りてしまいますが...
そんな遠方で撮ったコマの中で、機関車は小さくて番号も読めず、ファインダーでは見えなかったと思われる障害物が機関車に掛かっていたりする写真でも、煙の表情が面白いものを数枚発掘しました。
後付けですが、前記事のC57113もこの類ですね。
と言う訳で「煙が主役」、先ずはこの写真から...
今は亡き志布志線の貨物列車が西都城を発車してくる所ですが、折からの西風に煽られて煙が真横に流れて居ます。
罐の顔にハエたたきが突き刺さっている何ともシャッタータイミングの悪い写真ですが...
複写した写真を拡大してみて初めて気が付きましたが、画面左端の電柱の根元にカメラマンが一人写っていました。勾配標も見えますね。
このあと線路は左へ伸びてくるので、メインカメラはこの状態では横向きになっています。
志布志線 西都城~今町
495レ、C58112
1974年1月4日撮影
当時の撮影スタイルは、中判は標準レンズ、35mmは一台(ポジ装填)を標準レンズで中判と同時レリーズ、もう一台(ネガ装填)は望遠レンズを付けて遠方を撮影...ということが多かったです。
このところ、135ネガをデジタル複写していて、その望遠レンズで撮ったコマを見返していると、機関車が随分遠方に居る時から撮っていて無駄なコマの多いこと...
望遠レンズと言っても当時は135mmしか持っていなかったので、機関車が画面に適度な大きさになるまで引き付けていると標準レンズの方のレリーズが遅れる恐れも有り、望遠レンズは引き付け不足、そのくせ標準レンズは焦って早切り...という写真が沢山あります。カメラを2台も3台も操る技量はなかったのに欲張ってしまい、ヘボ写真の何と多いことか...
でも、当時は連写が出来ないカメラで原則1台1コマ、カラーとモノクロの両方撮りたい、望遠でも撮りたい...となるとカメラが2台も3台も必要になってきます。今ならカメラ1台に5倍程度のズームレンズ1本あれば事足りてしまいますが...
そんな遠方で撮ったコマの中で、機関車は小さくて番号も読めず、ファインダーでは見えなかったと思われる障害物が機関車に掛かっていたりする写真でも、煙の表情が面白いものを数枚発掘しました。
後付けですが、前記事のC57113もこの類ですね。
と言う訳で「煙が主役」、先ずはこの写真から...
今は亡き志布志線の貨物列車が西都城を発車してくる所ですが、折からの西風に煽られて煙が真横に流れて居ます。
罐の顔にハエたたきが突き刺さっている何ともシャッタータイミングの悪い写真ですが...
複写した写真を拡大してみて初めて気が付きましたが、画面左端の電柱の根元にカメラマンが一人写っていました。勾配標も見えますね。
このあと線路は左へ伸びてくるので、メインカメラはこの状態では横向きになっています。
志布志線 西都城~今町
495レ、C58112
1974年1月4日撮影