この写真、ちょっと季節外れなのですが、昨年の銀燕写真展のためにスキャンしたものが使用されなかったので、日付ネタとして取っておきました。(笑)
入社二年目の夏休みに休暇をプラスして、同僚と3人で車で九州まで10日間の蒸機撮影の旅でした。
昭和48年(1973年)7月28日(土)の夕方に都内を発って夜通し運転し、翌朝から山陰本線を撮影、途中宿泊しながら西下して北九州~南九州を廻り、帰路は宮崎からフェリーという行程で、掲載写真は6日目に立ち寄った高森線(現在は南阿蘇鉄道高森線)の終点、高森駅でのスナップです。
127レを牽いてきたC12208が帰路に備えて給炭中です。(127レは有蓋車2輌+客車2輌の混合編成で写真はこちら)
後方には雲が掛かっていますが、阿蘇山の裾野が見えています。
GMで見ると、この引き込み線も後方の機関庫も未だ健在のようですね。
当時に比べて住宅が増えているとは思いますが、沿線の長閑な風景も残っていて、また行ってみたい路線です。
1973年8月2日撮影
入社二年目の夏休みに休暇をプラスして、同僚と3人で車で九州まで10日間の蒸機撮影の旅でした。
昭和48年(1973年)7月28日(土)の夕方に都内を発って夜通し運転し、翌朝から山陰本線を撮影、途中宿泊しながら西下して北九州~南九州を廻り、帰路は宮崎からフェリーという行程で、掲載写真は6日目に立ち寄った高森線(現在は南阿蘇鉄道高森線)の終点、高森駅でのスナップです。
127レを牽いてきたC12208が帰路に備えて給炭中です。(127レは有蓋車2輌+客車2輌の混合編成で写真はこちら)
後方には雲が掛かっていますが、阿蘇山の裾野が見えています。
GMで見ると、この引き込み線も後方の機関庫も未だ健在のようですね。
当時に比べて住宅が増えているとは思いますが、沿線の長閑な風景も残っていて、また行ってみたい路線です。
1973年8月2日撮影