今回の渡道の主目的は勿論寝台特急列車の撮影ですが、もう一つ、長万部のホテルに泊まると言う事で密かに期するものがありました。
それは、44年前に長万部付近で蒸気機関車を撮影した場所に立ってみることでした。
長万部は函館本線と室蘭保線が分岐する駅です。
昔は函館本線を経由して札幌へ行く列車と、室蘭本線~千歳線を経由して札幌へ行く列車があり、前者は厳しい峠越えがあって「山線」と呼ばれていました。
その山線(函館本線)は長万部を出ると大きく左へカーブして室蘭本線と別れて行きます。
カーブの内側には何本か引き込み線があり、その辺りから撮った写真ですが...無邪気に遊ぶ子供たちの向こうを室蘭本線の貨物564レが上って行きます。
先頭はDD51で次位にD52が付いています。
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こちらは函館本線を下る急行ニセコ3号(103レ)、C622とC6215の重連です。
今にして思えば立ち位置は悪いし、日の丸構図のヘボ写真ですが、周辺の状況が分かるように敢えてトリミングせずに掲出です。
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以上1971年8月30日撮影
そして44年後に撮影した写真です。
当時は鉄道敷地内に入って撮影していても黙認状態でしたが、現在はそうは行きません。
従って、ここ砂盛道路踏切から先へは入って行けず、昔撮影した場所とはちょっと違う所からの撮影になりましたが...
カーブ全体はこんな感じです。背の高い照明灯は現在も健在でした。
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夕闇迫る頃、函館本線の普通列車が下って行きました。
信号機の位置が同じだとすると、44年前は大分前の方から撮影していますね。
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若かりし頃を思い出して、ちょっと郷愁に浸りました。
2015年2月23日撮影
それは、44年前に長万部付近で蒸気機関車を撮影した場所に立ってみることでした。
長万部は函館本線と室蘭保線が分岐する駅です。
昔は函館本線を経由して札幌へ行く列車と、室蘭本線~千歳線を経由して札幌へ行く列車があり、前者は厳しい峠越えがあって「山線」と呼ばれていました。
その山線(函館本線)は長万部を出ると大きく左へカーブして室蘭本線と別れて行きます。
カーブの内側には何本か引き込み線があり、その辺りから撮った写真ですが...無邪気に遊ぶ子供たちの向こうを室蘭本線の貨物564レが上って行きます。
先頭はDD51で次位にD52が付いています。

こちらは函館本線を下る急行ニセコ3号(103レ)、C622とC6215の重連です。
今にして思えば立ち位置は悪いし、日の丸構図のヘボ写真ですが、周辺の状況が分かるように敢えてトリミングせずに掲出です。

以上1971年8月30日撮影
そして44年後に撮影した写真です。
当時は鉄道敷地内に入って撮影していても黙認状態でしたが、現在はそうは行きません。
従って、ここ砂盛道路踏切から先へは入って行けず、昔撮影した場所とはちょっと違う所からの撮影になりましたが...
カーブ全体はこんな感じです。背の高い照明灯は現在も健在でした。

夕闇迫る頃、函館本線の普通列車が下って行きました。
信号機の位置が同じだとすると、44年前は大分前の方から撮影していますね。

若かりし頃を思い出して、ちょっと郷愁に浸りました。
2015年2月23日撮影