C57発掘の最終回は15号機、キャブのナンバープレートが形式入りだった梅小路機関区の罐です。
山陰本線の京都口には未だ朝夕3往復のC57牽引客レが残っていた時代でした。
15号機は2回撮影していて、両方とも既にブログに掲載済みでしたが、続きで撮った後追いのコマがありました。
撮影していた場所は梅小路機関区(現在の梅小路蒸気機関車館)の横です。
半分しか写っていないので読めないかも知れませんが、バックの「京 果」という看板があるビルは現在もそのまま残っているようです。
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枯れ鉄様のお膝元で、もしかしたらニアミスしていたかも知れませんね。(笑)
以下は上の写真の前2コマで再掲ですが、今回再スキャンしてレタッチし、多少見やすくなったと思います。
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デフはバイパス弁点検口が無いオリジナルな形ですね。
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山陰本線 京都~丹波口 1971年3月25日撮影
山陰本線の京都口には未だ朝夕3往復のC57牽引客レが残っていた時代でした。
15号機は2回撮影していて、両方とも既にブログに掲載済みでしたが、続きで撮った後追いのコマがありました。
撮影していた場所は梅小路機関区(現在の梅小路蒸気機関車館)の横です。
半分しか写っていないので読めないかも知れませんが、バックの「京 果」という看板があるビルは現在もそのまま残っているようです。

枯れ鉄様のお膝元で、もしかしたらニアミスしていたかも知れませんね。(笑)
以下は上の写真の前2コマで再掲ですが、今回再スキャンしてレタッチし、多少見やすくなったと思います。

デフはバイパス弁点検口が無いオリジナルな形ですね。

山陰本線 京都~丹波口 1971年3月25日撮影