前日は温泉津泊、明けて5月3日の午前中は馬路の大築堤で544レと560レを撮影したことは既に書きました。
その後はC57の牽く貨物列車があるということで西浜田へ行くも、運休。
そのまま居座って撮影したD51833牽引の861レを連続写真でご覧頂きましょう。
何せ41年前の事ですから記憶が曖昧ですが...
上り線に1輌置かれているワムを貨物列車に組み込むために、機関車(と車掌車)を切り離したところです。
ワムを拾いに行く所だったと思います。
列車の組成が完了して長笛一声...
ゆっくりと発車しました。
引きつけてもう一枚。
写真では判りにくいですが、D51833は後藤デフ(G−5’タイプ)を装備した罐でした。
それにしても、本線を使っての入れ替えで、踏切には軽トラックがずっと止まっているので、この間踏切は開かなかったのか...何ともノンビリとした時代でした。
踏切の上り線側(左手)では、小さな子供も入れ替え風景から発車までをずっと見ていたようです。
どこのどなたかは知りませんが、今はもう50歳に近いのでしょうね。果たしてこの時のことを覚えていらっしゃるでしょうか...
山陰本線 西浜田(〜周布) 1973年5月3日撮影
ポチッと
その後はC57の牽く貨物列車があるということで西浜田へ行くも、運休。
そのまま居座って撮影したD51833牽引の861レを連続写真でご覧頂きましょう。
何せ41年前の事ですから記憶が曖昧ですが...
上り線に1輌置かれているワムを貨物列車に組み込むために、機関車(と車掌車)を切り離したところです。
ワムを拾いに行く所だったと思います。
列車の組成が完了して長笛一声...
ゆっくりと発車しました。
引きつけてもう一枚。
写真では判りにくいですが、D51833は後藤デフ(G−5’タイプ)を装備した罐でした。
それにしても、本線を使っての入れ替えで、踏切には軽トラックがずっと止まっているので、この間踏切は開かなかったのか...何ともノンビリとした時代でした。
踏切の上り線側(左手)では、小さな子供も入れ替え風景から発車までをずっと見ていたようです。
どこのどなたかは知りませんが、今はもう50歳に近いのでしょうね。果たしてこの時のことを覚えていらっしゃるでしょうか...
山陰本線 西浜田(〜周布) 1973年5月3日撮影
ポチッと