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Channel: 趣味の写真帳
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腑に落ちない...

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 フィルム時代は120(66や67や69)がメインで135はサブでした。
 120では8~12枚しか撮れないので、本命以外の列車ではフィムル節約のためサブカメラしかシャッターを押していないコマもあります。
 そんなコマの中に、夢空間を連結した北斗星トマムスキーの写真を見つけましたが、今見返してみるとなかなか良いですね。何で67で撮ってない?>自分

 東北本線 栗橋~東鷲宮
 9012レ北斗星トマムスキー、EF651023 

 で、その続きのコマに、同日の午後に東大宮操で撮った回送列車の写真もありましたが、見ると機関車のエンドも列車の編成も反対向きになっています。
 東大宮操で機回ししてこの編成になりましたが...どうも腑に落ちません。

 東大宮操にて、回?レ

 1994年の北斗星トマムスキーは新宿行きだったようですが、仮に新宿で機回し(当時は多分出来なかったと思われます)して東大宮操へ来ると、機関車のエンドも編成の向きも変わりません。
 と言う事は、新宿からそのまま東大宮操まで来た事になります。
 はてさて、どんな経路で新宿から東大宮操まで来たのか?
 考えられるのは、新宿~(山手貨物線)~品川~東京~上野~(常磐線~武蔵野線)~大宮~東大宮操、という経路ですが、当時の東京~上野間は通れたのか?

 1970年代には確かに今の上野東京ラインと同じ経路を走る中距離電車がありましたが、この頃は品川~尾久間の回送列車(回1541~回4540、回4541~回1540)が山手貨物線の新宿経由で、線路は有ったかも知れませんが、東京~秋葉原~上野間に山手線と京浜東北線以外の列車は走っていなかったと思われ...
 どなたか詳しい方、ご教示下さい。m(__)m

 いずれも1994年3月21日撮影、原板は135ポジ(RVP)



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