塩狩峠、最後はC5547の牽く324レです。
この列車を撮影するため一旦塩狩駅に戻り、今度は和寒側へ...
左下に6の数字が見えますので、塩狩駅(28.4Km)から1.2Km和寒側へ下った最初の緩いカーブ付近で撮影したことが分かります。
和寒側は蘭留側に比べて直線区間が多く、あまり大きなカーブは有りません。
なので、なるべく直線を見通せるように、線路際の斜面にへばり付いて少し高い位置から撮っています。
324レは塩狩14時53分発ですから、撮影は14時50分頃でしょう。
汽車は遠いのですが...得意の早切り。(^^ゞ
カーブで罐が少し傾いたところを...
カメラを持ち替えて標準レンズで...
煙が後へ流れていてスピードがあったようにも見えますが、持ち替えて撮っているので実際はゆっくりだったと思われます。多分向かい風が強くて煙が後へ押さえつけられていたのだと思います。
大嫌いだったお皿形の回転火の粉止め付き煙突、50号機と比べると美しさの差は歴然です。
後追いも...
遠方に見えている信号が塩狩駅の場内信号だと思われます。
この列車も時刻表では和寒~旭川間がDD51の後補機付となっていますが、写真は残っていません。
ノートには後補機DD51の記載があるので目視では確認していたようですが、機番は控えていません。
当時はDD51(の機番)なんてどうでも良かったんですね。今ならちゃんと後追いも撮っていると思いますが...
宗谷本線 和寒~塩狩
324レ、C5547+DD51(PP)
1972年8月3日撮影
この列車を撮影するため一旦塩狩駅に戻り、今度は和寒側へ...
左下に6の数字が見えますので、塩狩駅(28.4Km)から1.2Km和寒側へ下った最初の緩いカーブ付近で撮影したことが分かります。
和寒側は蘭留側に比べて直線区間が多く、あまり大きなカーブは有りません。
なので、なるべく直線を見通せるように、線路際の斜面にへばり付いて少し高い位置から撮っています。
324レは塩狩14時53分発ですから、撮影は14時50分頃でしょう。
汽車は遠いのですが...得意の早切り。(^^ゞ
カーブで罐が少し傾いたところを...
カメラを持ち替えて標準レンズで...
煙が後へ流れていてスピードがあったようにも見えますが、持ち替えて撮っているので実際はゆっくりだったと思われます。多分向かい風が強くて煙が後へ押さえつけられていたのだと思います。
大嫌いだったお皿形の回転火の粉止め付き煙突、50号機と比べると美しさの差は歴然です。
後追いも...
遠方に見えている信号が塩狩駅の場内信号だと思われます。
この列車も時刻表では和寒~旭川間がDD51の後補機付となっていますが、写真は残っていません。
ノートには後補機DD51の記載があるので目視では確認していたようですが、機番は控えていません。
当時はDD51(の機番)なんてどうでも良かったんですね。今ならちゃんと後追いも撮っていると思いますが...
宗谷本線 和寒~塩狩
324レ、C5547+DD51(PP)
1972年8月3日撮影