岩見沢には大きな操車場もありました。
一昨日の記事でちょっと触れた、当時は無知で岩見沢機関区だと思っていた機関車溜まり(正式な名称は判りません)は、その操車場の一角にありました。
当時の岩見沢の辺りを地図で見てみると、南西から北東に延びる函館本線の岩見沢駅から、室蘭本線が約45度の角度をもって南へ分岐しています。
岩見沢駅の札幌寄りに広大な岩見沢操車場があり、操車場の札幌寄りから函館本線とほぼ90度の角度をもって南東方向へやはり室蘭本線が分岐しています。
岩見沢駅から分岐した室蘭本線と、岩見沢操車場から分岐した室蘭本線は志文駅で一緒になります。
当時は全体的に見ると直角二等辺三角形のような配線になっていましたが、現在は岩見沢駅から直接志文駅へ行く線路(直角二等辺三角形の底辺)は廃止され、昔の岩見沢操車場経由の線路が室蘭本線として残っています。
グーグルマップの航空写真を見ると、岩見沢操車場の跡地(函館本線の文字がある部分)や岩見沢から志文への線路跡がクッキリと残っています。
一昨日掲載した岩見沢を発車するD51重連は、岩見沢操車場を通らずに志文へ向かいました。当時の室蘭本線の旅客列車も全てこのルートだったと思います。
他方、室蘭本線でも岩見沢操車場を経由する貨物列車は現在も使われている線路を通っていました。つまり岩見沢~志文間は2ルート有った訳ですが、当時はどちらも単線双方向運転でした。
室蘭本線開通当初は岩見沢から分岐する線路しかなく、操車場経由の線路は後から出来たようです。
さて、その機関車溜まりですが、室蘭本線が岩見沢駅から分岐した辺りにありました。(上のGMで拡大して見て下さい。現在も線路や建物が残っています)
そこではカラー1枚、モノクロ2枚を撮影していました。
モノクロの方はネガを見れば順序が判りますが、カラーとモノクロのどちらを先に撮ったかなんて覚えていません。
そこで3枚の写真を並べて比較し、撮影順序を推理して見ました。
モノクロ2枚の順序は間違いありませんので、カラーが最初に入るのか、中間に入るのか、最後に入るのかの三通りですが...
本線越しに写真を撮っているので色々と邪魔なものが写っていますが、写真の奥の方が岩見沢操車場で貨車が停まっているのが見えます。
居並ぶ機関車は、右からD51359、D51277、9654、そして左遠方にD5124です。
カメラを少し左に振って撮影した写真です。D51359は見えていません。
奥の方にはセキを連結した9600が停まっています。
安全第一と書かれた建物が給炭設備だったのかも知れません。(この写真は再掲ですが、再スキャン再処理しています)
手前にD51359、その向こう側にD51277、テンダーがトラ塗りの罐は9654です。
1枚目で、D51359はドレインの状況から前進しています。従って、D51359が給水中の姿を写したカラーが最初に来ることはなさそうです。
では、カラーが中間か最後か、これは両方の可能性がありそうですが、写真を撮った位置が徐々に左に移動しているので、カラーを最後に撮ったと考えるのが妥当でしょう。
と言うことで、D51359が一旦右へ通り過ぎて転線し、バックで戻って来て給水したという順序でしょう。
それにしても、どの写真も機関車が上下の中心にあり、余分な地面が一杯写っているヘボ写真で、ここでもフォーカスポイントが真ん中にしか無いことの影響が出ています。(1枚目は下を少しカットしています)
今から思うと、停車中の機関車を撮っているのだから、中心で一旦ピントを合わせてからカメラを上に向ける余裕は十分にあったと思いますが、そんなところまで考えずに漫然と撮っていたのでしょう。
函館本線 岩見沢操車場
1971年9月2日撮影
一昨日の記事でちょっと触れた、当時は無知で岩見沢機関区だと思っていた機関車溜まり(正式な名称は判りません)は、その操車場の一角にありました。
当時の岩見沢の辺りを地図で見てみると、南西から北東に延びる函館本線の岩見沢駅から、室蘭本線が約45度の角度をもって南へ分岐しています。
岩見沢駅の札幌寄りに広大な岩見沢操車場があり、操車場の札幌寄りから函館本線とほぼ90度の角度をもって南東方向へやはり室蘭本線が分岐しています。
岩見沢駅から分岐した室蘭本線と、岩見沢操車場から分岐した室蘭本線は志文駅で一緒になります。
当時は全体的に見ると直角二等辺三角形のような配線になっていましたが、現在は岩見沢駅から直接志文駅へ行く線路(直角二等辺三角形の底辺)は廃止され、昔の岩見沢操車場経由の線路が室蘭本線として残っています。
グーグルマップの航空写真を見ると、岩見沢操車場の跡地(函館本線の文字がある部分)や岩見沢から志文への線路跡がクッキリと残っています。
一昨日掲載した岩見沢を発車するD51重連は、岩見沢操車場を通らずに志文へ向かいました。当時の室蘭本線の旅客列車も全てこのルートだったと思います。
他方、室蘭本線でも岩見沢操車場を経由する貨物列車は現在も使われている線路を通っていました。つまり岩見沢~志文間は2ルート有った訳ですが、当時はどちらも単線双方向運転でした。
室蘭本線開通当初は岩見沢から分岐する線路しかなく、操車場経由の線路は後から出来たようです。
さて、その機関車溜まりですが、室蘭本線が岩見沢駅から分岐した辺りにありました。(上のGMで拡大して見て下さい。現在も線路や建物が残っています)
そこではカラー1枚、モノクロ2枚を撮影していました。
モノクロの方はネガを見れば順序が判りますが、カラーとモノクロのどちらを先に撮ったかなんて覚えていません。
そこで3枚の写真を並べて比較し、撮影順序を推理して見ました。
モノクロ2枚の順序は間違いありませんので、カラーが最初に入るのか、中間に入るのか、最後に入るのかの三通りですが...
本線越しに写真を撮っているので色々と邪魔なものが写っていますが、写真の奥の方が岩見沢操車場で貨車が停まっているのが見えます。
居並ぶ機関車は、右からD51359、D51277、9654、そして左遠方にD5124です。
カメラを少し左に振って撮影した写真です。D51359は見えていません。
奥の方にはセキを連結した9600が停まっています。
安全第一と書かれた建物が給炭設備だったのかも知れません。(この写真は再掲ですが、再スキャン再処理しています)
手前にD51359、その向こう側にD51277、テンダーがトラ塗りの罐は9654です。
1枚目で、D51359はドレインの状況から前進しています。従って、D51359が給水中の姿を写したカラーが最初に来ることはなさそうです。
では、カラーが中間か最後か、これは両方の可能性がありそうですが、写真を撮った位置が徐々に左に移動しているので、カラーを最後に撮ったと考えるのが妥当でしょう。
と言うことで、D51359が一旦右へ通り過ぎて転線し、バックで戻って来て給水したという順序でしょう。
それにしても、どの写真も機関車が上下の中心にあり、余分な地面が一杯写っているヘボ写真で、ここでもフォーカスポイントが真ん中にしか無いことの影響が出ています。(1枚目は下を少しカットしています)
今から思うと、停車中の機関車を撮っているのだから、中心で一旦ピントを合わせてからカメラを上に向ける余裕は十分にあったと思いますが、そんなところまで考えずに漫然と撮っていたのでしょう。
函館本線 岩見沢操車場
1971年9月2日撮影