梅雨明けが早かったと思ったら、その後は大雨日本列島...
8月になりましたが、今日もさいたま市は梅雨のような空模様です。
夏は戻ってくるのでしょうか...
会社勤めの時は毎年7月末〜8月初旬にかけての一週間が夏休みで、新入社員の頃は丁度蒸気機関車の終焉期と重なっており、夏休みはいつも蒸機を追って遠征でした。
梅雨明けが遅かった年には遠征先で雨に降られたこともありました。
もう39年も前になってしまいましたが、この時も7月末は蝦夷梅雨だとかで、北海道でも雨に降られた覚えがあります。
1974年7月28日の朝、上野7時半発のはつかり1号の乗客となり、北海道を目指しました。
7月29日〜30日は留萌本線と羽幌線、7月31日〜8月1日は宗谷本線と名寄本線、8月2日は名寄本線、8月3日〜5日は石北本線を撮影しています。
夏休みは日曜日から次の日曜日までの一週間なので、この年は7月28日〜8月4日まで、丁度今年と同じですね。
8月5日も石北本線で撮影していた...という事は、6日まで二日間休暇をプラスしたのだったかなぁ...
そんな撮影行の中から何枚かピックアップして...
7月31日は名寄駅前の旅館に宿泊、翌朝は早起きして朝飯前に名寄始発の322レの撮影です。
322レはC55とC57の共通運用で、この頃は五分五分の確立でしたが、残念ながらこの日はC5787でした。
この写真は以前にも掲載したかも知れませんが、再スキャンして大きく掲載です。
今ならこんな場所での撮影は不可能ですが、当時は大らかなものでした。
メインは三脚に据えた6×6判二眼レフ、標準レンズで...
再び手持ちの35mmで後追いを...
遠方左手、少し高くなって分岐して行く線路が名寄本線です。
宗谷本線 名寄(〜風連)1974年8月1日撮影
8月1日も同じ旅館に宿泊し、2日の322レは多分C55だろうから、これを是非とも撮影...と意気込んでいましたが、旅館玄関の鍵が開けられず涙を呑んだ事は以前の記事に書きました。
8月になりましたが、今日もさいたま市は梅雨のような空模様です。
夏は戻ってくるのでしょうか...
会社勤めの時は毎年7月末〜8月初旬にかけての一週間が夏休みで、新入社員の頃は丁度蒸気機関車の終焉期と重なっており、夏休みはいつも蒸機を追って遠征でした。
梅雨明けが遅かった年には遠征先で雨に降られたこともありました。
もう39年も前になってしまいましたが、この時も7月末は蝦夷梅雨だとかで、北海道でも雨に降られた覚えがあります。
1974年7月28日の朝、上野7時半発のはつかり1号の乗客となり、北海道を目指しました。
7月29日〜30日は留萌本線と羽幌線、7月31日〜8月1日は宗谷本線と名寄本線、8月2日は名寄本線、8月3日〜5日は石北本線を撮影しています。
夏休みは日曜日から次の日曜日までの一週間なので、この年は7月28日〜8月4日まで、丁度今年と同じですね。
8月5日も石北本線で撮影していた...という事は、6日まで二日間休暇をプラスしたのだったかなぁ...
そんな撮影行の中から何枚かピックアップして...
7月31日は名寄駅前の旅館に宿泊、翌朝は早起きして朝飯前に名寄始発の322レの撮影です。
322レはC55とC57の共通運用で、この頃は五分五分の確立でしたが、残念ながらこの日はC5787でした。
この写真は以前にも掲載したかも知れませんが、再スキャンして大きく掲載です。
今ならこんな場所での撮影は不可能ですが、当時は大らかなものでした。
メインは三脚に据えた6×6判二眼レフ、標準レンズで...
再び手持ちの35mmで後追いを...
遠方左手、少し高くなって分岐して行く線路が名寄本線です。
宗谷本線 名寄(〜風連)1974年8月1日撮影
8月1日も同じ旅館に宿泊し、2日の322レは多分C55だろうから、これを是非とも撮影...と意気込んでいましたが、旅館玄関の鍵が開けられず涙を呑んだ事は以前の記事に書きました。